日南市「ネコさえ通らない街」油津商店街に奇跡を起こし、IT企業を誘致した「街づくり支援会社」代表シニアのサクセスストーリー

日南モアイ像

宮崎県南部にあり、日照時間は国内トップクラスであり、「広島カープ」や「西武ライオンズ」のキャンプ地、モアイ象があることでも知られる日南市。その中心市街地にある「油津商店街」は1965年にピークを迎え、最盛期には80店舗が軒を連ねていた。

ところが、大店法(大規模小売店舗法)の規制緩和で郊外や宮崎市に商業の中心が移り、油津商店街は寂れていった。ついには6店舗になり、スーパーの閉店後には「ネコさえ通らない街」と揶揄されたという。

ネコさえ通らない油津商店街に「奇跡」をもたらした男

その油津商店街に奇跡をもたらしたのは一人の男性、K氏。
K氏は、鹿児島大学に進学し、東京の大手証券会社から就職内定をもらうも、入社前研修中、突然、実家から電話が入った。「お父さんが倒れた。すぐに帰って来い」。

幸い、父親は一命をとりとめたのだが、K氏に「実家に残ってくれないか」と告げられる。「同期は、これから東京で活躍するのに、なんで自分だけ……」とK氏は抵抗したそうだが、最終的に家族の懇願に折れた。当時、地元は就職難だったが、たまたま日南商工会議所の募集に応募し、何とか滑り込んだ。以来、60歳で事務局長で定年退職するまで、商議会議所一筋で働き続けてきた。

K氏は「最初の数年間は全くやる気がなかった」と振り返るが、油津商店街の衰退、故郷・日南市の衰退に心を痛めていた。

そんな状況下、2013年、新しい風を起こすべく新日南市長が誕生。「油津商店街を再生させる!」と宣言した。そして再生請負人を公募。県外から20~30代の民間人が呼ばれ、更にプロジェクトの中心としてK氏にも声がかかった。

日南市の目標は、「4年間で20店舗を油津商店街に誘致してくれ」というものだった。K氏は当時、「定年まで働いてきて、やっと休めるかなと思っていた」と回想している。

「奇跡」を呼び込む力は「情熱」と「決意」

しかし、K氏は、プロジェクトに参加している若者に能力があり、情熱があることをみて、「この機会を逃したら日南はもう変われないのではないか」という思いがよぎり、このプロジェクトに関わることを決意する。

2014年3月、K氏と日南市が公募した「再生請負人」Rさん、企業経営者のMさん、3人が30万円を自腹で出資し、街づくり支援企業「油津応援団」を立ち上げた。

まず、手始めにしたことは、油津商店街に机を並べ、地元メディアの前で「私たちがリスクを負います。諦めている油津商店街に奇跡を起こしたい」と決意を語った。この固い決意に沢山の市民から1500万円近く出資が集まる。

そして、2014年4月に商店街復活の起爆剤にしたいとの思いで、閉店した喫茶店に目を付け、新たな価値を創造することを目的にリフォーム再生し、自前のモダンなカフェ「ABURATSU COFFEE」として新規第一号として出店する。

出店当初は、そもそも人通りの無い商店街での商売なので、赤字続き、市議会議員からも「どうなっているんだ」とつつかれながらも何とか耐えて、今では月商1500万円で黒字運営となっている。

油津商店街に起きた「奇跡」

「ABURATSU COFFEE」の成功を機として、更に商店街に人を集めるべく、スーパーの廃墟を壊し、多世代交流コミュニティ施設「油津yotten」を建設する。そして、周辺住民を商店街に足を運びこむようにするため、地元特産品をPRするイベント、JAZZライブ、落語会、高校生主催の「お化け屋敷」など数々のイベントを企画、運営すると、商店街に人通りが急増し始めた。

この成功体験が、更なる新店舗の誘致を加速させた。「中小企業診断士」の資格を取得したK氏は、旧呉服店の跡地にモダンな豆腐料理店に生まれ変わらせ、屋台村「あぶらつ食堂」がオープン。お洒落なスイーツ店やパン屋さん、エスニック料理店、居酒屋などが次々とオープンし、商店街に魅力が増し、人が更に訪れ、出店のメリットも増すという好循環が始まった。

油津応援団の起業支援が実り、商店街の人通りも3倍まで増え、6店舗にまでなっていた店舗数は30店舗近くにまで回復した。そんな中、K氏の元に「東京のIT企業が商店街にオフィスを構えたい」との嬉しい「奇跡」もたらした。

更に、東京で就職していたK氏の次男が、「日南に戻る」と電話があり、K氏に仕事を手伝いたいと地元にUターンするという「奇跡」も起こる。息子さんは、「油津yotten」で結婚式をあげ地元TVでも報道され、大きく報じられた。

K氏は振り返る。「わずか3年でこれほどまでに変わるとは。奇跡が起きたんです」と。

現在はK氏が応援団の代表取締役を務め、出資を希望する市民株主も続々と現れ、資本金は当初の90万円から1600万円にまで増えた。

「街づくりで一番大事なのは、人づくり」

K氏は、「街づくりで一番大事なのは、人づくり」ですと語る。

この油津商店街の奇跡の復活事例を考察するならば、「奇跡」は起こすべく起きるのではなく、まず中心となる人の「決意」「覚悟」「情熱」から始まるのではないかと思う。そして、その「決意」は利他の思いではないかと思う。自分のためにではなく、社会や街を良くしたいという思い、「人々を幸せにしたいという念い」から始まるのではないかと思う。言葉を変えていうならば「無私なる心」「無償の愛」と言えるのではないかと思う。

次に、やるべきこと、すべきことを明確にし、それを坦々と熟していく「決断力」、「持久力」と「忍耐力」が求められるのではないかと思う。K氏の場合も、商店街の復活に3年間の期間を要している。「石の上にも三年」である。その結果、商店街に魅力が出て、人が集まり、店も増え、IT企業の誘致にも成功したのだと思う。

情熱ある人が、魅力ある街づくりをすれば人はそこに集まってくる。まず中心となる人が情熱を持ち決意し、自分を変えることで、その魅力が人を感化し、人を引き付ける。そして、その周りに更にファンが集まるという好循環が始まってくるのではないかと思う。この事例は、こうすれば「奇跡」が起きるという、シニア起業にとっても良い成功事例であるのではないかと思う。



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