「商店街を復活」させた商売人スピリット

いまから約20年前、商店街の衰退に商店主たちは、焦りを感じていた。

香川県一の賑わいを見せていた高松丸亀商店街は、ある時を境にぱったりと客足が途絶えた。

日曜日にもかかわらず、商店街に人通りはなく、売り上げもピークだった1988年から半分以下に落ち込んでいた。

バブル崩壊が要因の一因だったが、月極駐車場が5,5000円までになり、商店街周辺はとても人の住める状態ではなくなった。結果、郊外に転居する人が後をたたず、商店街周辺エリアの住民は1,000人から70人ほどに激減。

更には、1988年の瀬戸大橋開通と同時に、他県から進出してきた大型店舗が顧客を根こそぎ奪い、商店街の活気は見る影もなくなっていった。

「時代の先」を読んで手を打つ

実は、この事態を10年以上前に予見していた人がいた。

高松丸亀商店街振興組合の前理事長だったK氏。K氏は商店街の売り上げがピークだった88年、「この状況が続くのは長くて15年、早ければ10年」と語っていた。次の理事長になったF氏は、K氏から商店街の再生を託されたのだった。

F氏は、商店街の若手経営者と2年をかけて計画を練り、役所に計画の説明をしに行った。しかし、当時、「商店街には人がいっぱい通っていた」ので市も県も全く取り合ってくれなかった。そこで、F氏は、当時の通産省(現・経済産業省)に乗り込み、同省の協力を取り付け、水面下で計画を推進していった。

「成功者の町」をつくる

F氏らが、練った計画は、「人が住みやすくなる街にする」ということだった。

全国の商店街の寂れてしまう共通点は、人口減少によって店の種類が偏ること。

八百屋や魚や、銭湯など、生活を支える店が消え、居住者が居なくなり、店舗の種類が偏り、それが更に住みにくい環境にするという悪循環が生じているのである。

では、どうすれば人が集まるのか。

高齢化が進む中、「高齢者が安心して快適に住める街」というのが、商店街復活の発想のきっかけになった。

郊外の大型店舗が便利なのは、車が運転できてこそ。実際、郊外に住む高齢者が、車が運転できない場合は、買い物することもままならない。

商店街復活のキーワードは、「医・食・住」。

そして、それ以外にも商店街に新たな魅力を生み出す工夫を行った。

丸亀商店街の活気を維持するためは、商店街のテナント全てに売り上げの最低ラインを課し、達成できない場合は、商店街の営業権を失うというルールとした。これによって、昔ながらの商店街の温かさと、ショッピングモールのように常に人気の店が並ぶような賑わいを両立させた。

結局、売り上げが上がらないのは、顧客から支持されていないということ。そうした店は、どんどん入れ替わっていくということ。

昔から、丸亀商店街にある店は、「成功者の証」だった。工夫を重ねた者しか「成功者の町」には入れないということだったのである。

問題解決策を「発明」する

丸亀商店街では、問題点を洗い出し、再生計画を完成させたのだが、計画を実行すには、数多くの試練が待ち受けていた。

まず、店の新陳代謝が起きる商店街を作るには、土地問題を解決する必要があった。

そこで考えたのは、土地の所有者と利用権を分離し、地権者から期間限定で利用権を借り、地権者には賃料が入るようにし、両者にメリットがある仕組みとした。

地権者との合意にかかった年数は4年。土地問題で再開発が止まる商店街が珍しくないなか、驚異的なスピードである。

地権者も商店街の未来に危機感を持っていたため、数人反対が出たが、他の地権者が説得に乗り出したのだった。

次に立ちはだかったのが、法規制だった。

「憩いの場」が欲しいというニーズがあったのだが、道路法の規制に引っ掛かり、役所との交渉に12年もの年月を要したのだった。

F氏が解決した方法は、自分のの所有所有する土地を、現在固定資産税を払いながら、公的な「憩いの場」として提供するという方法だった。

また、道路を隔てた建物をブリッジで繋ぐというのが、F氏の念願だった。商店街全体が、空中回廊で行き来できるようになれば、高齢者が何度も昇り降りをすることもなくなる。更には、高潮などの災害にも備えることが出来、急病患者を搬送する導線にもなる。

しかし、ここにも民間がブリッジを架けるとなると4つの法令に抵触するのだった。

そのため、再開発特区の申請をし、建築基準審査会、国の承諾を得て役所と認可を得るまで3年を費やした。

商売人スピリットが復活の鍵

この再開発事業の財源は、どこから出たのかと思う方もいる筈である。

では、どこから捻出したのか。それは、再開発に先立ち、商店街として自主財源創出に着手していたのであった。

「まず財源を確保し、投資する。そして、財源が増えることを目指していた」

自主財源確保の手初めてに、駐車場経営を行った。銀行の跡地を安く譲り受け、商店街店主たち一人一人に頭を下げ出資を募ったのであった。

補助金活用も行ったが、あくまで役所からの投資とした。役所には、補助金を出してもらった分、税収アップでお返しをすることを約束した。

役所からは、「税収の心配なんかしてもらわんでもええ」と言われたそうである。

F氏は、「行政が何とかしてくれ」という声を、全国の商店街からよく聞きそうだ。「できない理由を探せば幾らでも出てくるが、まず自分の足で立つという、商売人魂を忘れてはいけない」と語っている。

自らの足で立つという、商店主たちのスピリットが、商店街復活の大きな鍵となるということである。





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