若者の「就活」&シニアの「終活」について考えてみた。

終活

大学生や若者の「就活」とシニアの「終活」を引っかけて考えてみました。

現代社会というのは、人々のする「仕事」で成り立っています。シニアにとって「就活」はもう過去のことでしょうが、若い方にとっては、現実問題です。

現代社会では、様々な仕事があり、様々な人が色んな所で働き、それぞれの生計を立てています。

若い人にとっての「就職することの意義」、シニアにとっての「就職することの意義」は、被るものがあるし、異なる点もあることと思います。

殆どの人が、働くことは、「生きるため」「お金を稼ぐため」「家族を養うため」などの理由を挙げると思います。勿の論、それは、その通りであると思います。しかし、それだけで「働く」のは、ちょっと寂しいし、仕事にも熱意を込めることは難しいのではないかと思います。

では、なぜ、人は働くのでしょうか。勿論、働かなければ食べていけません。しかし、それだけではなく、人間は単なる動物ではなく、人間は社会的動物であり、誰一人として一人では生きていけない存在だからと思います。

私は、「人間がこの世に生まれて来るのは、仕事を通して、人々の幸福にするため、社会に貢献する」ためにあるのではないかと思っています。そうでなければ、生まれてから死ぬまで働いて、何某かのものを残したとしても、それが一体何になるのでしょうか。

就職することの意義・天職の見極め方

まず、両者にとって「就職することの意義」は、「天職を見つけること」「使命の発見」にあるのではないかと思います。

私も今は、会社員として働いている訳ですが、自分の天職、使命を探っている途中です。死ぬまでには、それを探し、あるいは造り出し、それを成し遂げてから還りたいなと思っています。

最近では、アメリカのトランプ大統領が不動産業をやっていて、大統領業も行うという離れ業をやっています。こういうことは日本では中々考えらえないことではありますが、若い人には、知っておいて欲しいことは、『自分の天職は、だいたい自分の好きなことの延長線上にあるということ。そして採用する側の企業の「こういう人材が欲しい」という条件がマッチしたときに、就職は決まる』ということです。

だから、今はもう4月の終わりなので「就活」をしている大学生は、あまり、いないのかもしれませんが、自分が天職と思えるような仕事を探すには、もちろん企業訪問などのリクルート活動を通じて探すなり、インターンシップをするなり、OBの企業訪問して聞くなり、アルバイトをするなり、様々な手を打って自分がどんな仕事に向いているのかを探っていくことが大事かなと思います。それと大学に入ったら、学業はしっかり取り組むのは当然として、「自分がどんな仕事をしたいのか」、どんな仕事で「世の中に貢献できるのかを考え続けていくこと」が大事かなと思います。

身近な人から探す方法ーあんな人のようになりたい。過去の偉人や現代の著名人などから自分がなりたいと思うような人、「好きこそ者の上手なれ」という諺があるように、自分の興味関心のあるところにこそ、自分の「天職」がある可能性が高いでしょう。

心の底から、「コレがしたい」という強い思い、「心の疼き」があるなら、そこに「天職」があるかもしれないと思っていいのではないでしょうか。そういう風に考えて、「就活」に臨めば、かなりの確率で自分の天職と言えるような仕事に就くこともできるのではないかと思います。

シニアにとっての本当の「終活」とは

さて、シニアにとって、「終活」は、残りの人生をどのように生き、送っていくためには、非常に大事です。

昨今の「終活ブーム」で多くの人が、「自分の死」について考えるようになったことは、いいことだと思います。勿論、シニアにとって、死ぬときのことを考えておくことは、とっても大事です。

しかし、巷の終活、世間一般的には、終活とは「エンディングノートを書く」、「遺産相続などの遺言書を書く」、「墓をどうするか決める」等の「この世的手続き」をすることが中心になっているのですが、そのようなモノは、さっさと決めておけば良いことだと思います。

私は、すでの墓は決めました。実家は両親も死亡して、弟が継ぎ、墓も見てくれています。墓については、墓石の下には入りたくないので、家内も入れる永代供養してくれる納骨堂を確保しました。冷暖房完備で、クリーンなのでとても気に入っています。

遺産については、とりあえずは、妻に全額相続できるように決めています。あとは遺言書を書いておくだけです。子供は子供で自立してやっていくでしょうから、遺産は要らないと思っています。

「エンディングノート」は不要だと思います。自分の生きた証が何らかの形で、残った人の心に残ればいいなと思っています。この世に執着なく去っていきたいなと思っています。まあ、何らかの役に立つような「思想」を残せるなら別ですけどね。

 

人間死んだら、お金も、家も、車も、勿論、自分の肉体もあの世には、持って帰れません。死んで持って帰れるのは、「自分の心」しかありません。勿論、唯物論の人は、「心なんかない」「死んだら何もなくなる」と思っている人は数多いと思います。しかし、それに何の意味があるというのでしょうか。死んで何もなくなるなら、この世に偶然生まれ、親も何もかも選べずに、盲目のように人生を生きていくなら、自分の人生の責任も何も取らなくていいと思います。ですので、当然のこと終活など必要ないでしょう。

ですので、シニアの「終活」は、葬式や墓の準備をすることではなく、やはり、この世に執着なく去っていけるように、使命を発見し、それを成し遂げることに尽きるのではないかと思います。

若者は、人生の前半であり、自分のために生きていくことは、ある程度仕方ないことでは有ると思うのですが、シニアは残りの人生を自分のために生きてはいけないと思います。

 

やはり、大事なモノを捨てる勇気、執着なくこの世を去っていけるように「断捨離」をすることも必要です。そのためには、「覚悟」が必要です。「天職に生きる」「使命に生きる」という覚悟で、カッコイイ生き方を目指して生きていきたいと思います。

この世に生まれてきた人には、それぞれの使命があります。その使命は、誰も教えてくれませんし、あなたにしか見つけることはできないのです。その使命は、発見し、覚悟を決め、断行していくこと、それがシニアに求められているのではないでしょうか。

そして最後には、何某かの「幸福と希望」を、この世に「還元」し、「次の世代に希望の橋渡しをする」ということなのではないかと思います。



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