本当の幸せになるには執着を捨てることです

地上には、いま世界中で70億人以上の人が生きて、幸福を求めて生きています。

幸福の青い鳥を求めて生きているのです。

私もその一人ではあります。

皆さんも「幸福」を求めて生きていると思います。

では、幸福っていったい何なんでしょうか。

幸福の定義は色々あるでしょう。

70億人の人が生きているのですから70億通りの幸福があると言ってもいいかもしれません。

「幸福」を辞書で引いてみると、「現在の環境に十分満足出来て、あえてそれ以上を望もうという気持ちを起こさないこと。またその状態。しあわせ。」と書かれていました。

1億円の宝くじに当たることは幸せなのか

幸福とは、物質的な面でいえば、「お金を儲けて経済的に豊かになること」

「豪華な家に住み高い車や自分の欲しい物が手に入ること」

「有名になって高い地位を得ること」などを挙げる人が多いと思います。

「スポーツとか何かの分野でトップになって名誉を得たい」

美味しいものを腹一杯食べることができれば幸せという人もいるかもしれません。

また、結婚すること、良き伴侶を得るということを挙げる人も多いでしょう。

では、これらのモノは本当の幸福かどうか検証してみましょう。

例えば、経済的なことで例をあげるとすると、「一億円」の宝くじに当たった人は幸福なのでしょうか。

勿論、当たった時は、やったー!と思い幸福感は感じるでしょう。

しかし、その後の結末が悲惨な結果となった人も数多くいるようなのです。

高額当選者のその後として、家族親族にたかられることでお金を失くしてしまったり。

会社の人に嫉妬され、奢ってくれと言われるようになり、やむなく退職した。

宝くじが当たった結果、色々散財してあげくに全部使い切ってしまった。

宝くじに当たった人の全部が全部そうなるのではありませんが、このような悲惨な末路となる人もいるそうなのです。

つまり、お金が沢山ある=即幸福ということではないということです。

一億円があれば幸福で、無ければ不幸というようなものでは必ずしもないということなのです。

つまり、「こうなれば確実に幸福であり、こうなれば確実に不幸である」と言えるものではないということです。

ほんとうの幸福になるには

では、幸福になるためにはどうすればいいのでしょうか。

2500年前にインドで生きたお釈迦様は、このように語っています。

人間が生きていることは、結局何かを求めていることに他ならない。

しかし、この求めることについては、誤ったものを求めることと正しいものを求めることの二つがある。

誤ったものを求めることというのは、自分が老いと病と死とを免れることを得ない者でありながら、老いず病まず死なないことを求めていることである。

正しいものを求めることというのは、この誤りを悟って、老いと病と死とを超えた、人間の苦悩の全てを離れた境地を求めることである。

実は、お釈迦様も「幸福」を求めて生きていたのです。

では、お釈迦様の求めていた幸福って、いったい何だったのでしょうか。

お釈迦様は、この世は「諸行無常」であり、一切のものは常に変化変転しており、何一つ不変なものはない、固定されたものは無いと説かれていたのです。

これは、一つの悟りです。

つまり、お釈迦様の求めていた幸福とは「悟りという幸福」だったのではないかと思うのです。

「諸行無常」とは、「平家物語」の冒頭の「祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」で有名な言葉です。

「祇園精舎の鐘の音には、諸行無常すなわちこの世のすべての現象は絶えず変化していくものだという響きがある」ということです。

お釈迦様の説かれた教えには八万四千の方があるとも言われています。

人間には多種多様な生き方をする人がいるので、一定の「心の法則」というものがあって、その法則の基に生きれば幸福になるが、その法則から外れる生き方をすれば不幸になる」ということを色々な形で説かれたのです。

「人間が幸福になるには、法則がある。人間が不幸になるのも法則がある」ということを説かれたのです。

つまり幸福になるには、心の法則に則って生きればいいということです。

お釈迦様の説かれた心の法則の一つが「執着を断つ」ということです。

「煩悩を断つ」といってもいいでしょうか。

お釈迦様は人間が逃れられない苦しみには「四苦八苦」があると説いています

四苦は「生・老・病・死」であり、それぞれ、「この世に生まれる苦しみ」、「老いる苦しみ」、「病気になる苦しみ」、「死ぬ苦しみ」のことです。

それに加えて、怨憎会苦(憎しむ者と出会う苦しみ)、愛別離苦(愛するものと別れる苦しみ)、求不得苦(求めるモノが得られない苦しみ)、五蘊盛苦(互換煩悩が燃え盛る苦しみ)を八苦として、合わせて四苦八苦とされています。

つまりお釈迦様は、人間の苦しみの原因は、煩悩や執着にあると喝破していたのです。

最近では、日本大学のアメリカンフットボール問題が大騒ぎになっていますが、これだけ騒ぎが大きくなった原因には、日本大学アメフト部の監督が、「自分は不正な行為を指示していない」と嘘をつき、責任逃れしようとしたことに、マスコミや国民の反感を買ったところが大きいのではないでしょうか。

恐らく監督は、「理事長という地位を失いたくない」という執着があると思います。その執着を断つことができないので、嘘をつくことで、さらに状況を悪化させ、みすみす自分を不幸へと追い込んでいっているのです。

地位や名誉や勝利などに執着しているのです。

2500年前にお釈迦様の説かれた真理は、現在もまた真理であるのです。

ですので、日大の監督が幸福になるためは、不幸になるのを止めることです。

嘘をつくのを止め、執着を断ち、正しい道に入ることです。

執着を断つことで幸福への道を歩んでいくことができるのです。

人間年を取ると、執着なるものが増えてきますが、この執着を失くしていくことだ大事です。

天国の門は、幼子のようでなければ開かないとも言われます。

年を取ればとるほどに心の垢をを落として幼子のような心を取り戻していくことが大事になります。

しあわせは 歩いてこない。

だから歩いて ゆくんだね。

一日一歩 三日で三歩。

三歩進んで 二歩さがる。

人生は ワン・ツー・パンチ。

汗かき べそかき 歩こうよ。

あなたのつけた 足あとにゃ。

きれいな花が 咲くでしょう。
「三百六十五歩のマーチ」より



コメントは受け付けていません。